
皇城相府は清の康熙帝時代の文淵閣大学士兼吏部尚書、康熙帝の先生、『康熙辞典』の総閲官などを務め、かつて康熙帝を半世紀ほど補佐した当時の名相である陳廷敬の官邸である。
明と清の時代に、陳氏一族から監貢生41人、挙人19名、官吏38人、詩人33名が輩出した。また9人が進士になり、6人が翰林に入った。かつて乾隆帝が自らその一族に「徳は積む 一門九進士、恩は栄ゆ 三世六翰林」(仁徳が重なり一門から九人の進士を輩出し、厚恩に栄えて三世の間に六人の翰林を出した)という対聯を書いて授けたという。
皇城相府は観光面積が10万平方メートル余りある。その建築は山に靠れ、山の勢いにより形が変わる。楼閣庭園は層をなして秩序がある。御書楼は壮大で極彩色の美に輝いている。古い城壁は雄大で、石の碑坊は気勢があり、宰相官邸は格調が高い。「闘築居」は連綿と府庭が続き、「河山楼」は高く険しく聳え、「蔵兵洞」は限りなく巧みで見事である。「南書院」は雅やかで、「西花園」は趣がある。「紫蕓阡」には石碑が林立し、木、石、レンガの彫刻は豊な意味内容が含まれている。 皇城相府は官邸と文人の旧居を同時に持つ上、地方民居の特徴も有する。明、清時代の古い砦の建築群であり、清の時代の北方最大文化一族の屋敷である。規模が大きく、文化詳細が深い皇城相府は、完璧に保存されている珍しい存在となり、理想的な観光地となっている。
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