清の康熙帝53年(1714年)に建てられ、その名は中に珍蔵されていた康熙帝が自ら書かれた「午亭山村」の扁額と「春帰せば喬木の濃蔭茂(さか)んにして、秋到れば黄花の晩節に香る」(春になれば大樹の葉が濃い影を落とし、秋が来れば菊の花が季節の終わりに香りを放つ)の対聯に由来しているという。康熙帝が書かれたものは陳廷敬氏一生の功績及び節操への高い評価である.